宇佐美翔子さんを偲ぶ 特別寄稿「今日もまた生き抜くために」(文/岡田実穂)

2022.03.30

性暴力を生き抜いた人たちやセックスワーカー、LGBTIQA、社会の中で差別や偏見に晒されがちな人たちの隣にいつもいようとしたのが宇佐美翔子という人間でした。そして、彼女が亡くなるまでの10年ちょっとをいつも一緒にいた私(岡田実穂)から見た最期の翔子をここに書き遺したいと思います。 いろんなこと、乗り越えたりずっこけたりしながら、それでも生きることを楽しもうとしていた彼女の言いたかったことって何かなって考えながら、書きました。

岡田実穂

「今日もまた生き抜くために」

「可愛いおっぱいが、”胸部”に変わったのが乳がんになった時だった。今度はまんこが、ただただ”膣”と呼ばれるようになったね」

彼女は涙を見せはしなかった。何度も膣がおかしい、穴が空いている気がする、腸から漏れている感じがする、と医者に訴えても、酷い時には「年を取ると肛門からの空気か膣からか分からなくなるから」と笑い話のように医者に言われていた。

信頼していた医師から「宇佐美さんは、なんでも大袈裟に言うから」と言われていたのを聞いた時には、心底悔しそうな顔をしていた。

大腸癌ステージⅢが着々と進行していっていた。ステージ、と言うものを考えるのも大変だった。骨盤内転移、リンパ節転移、膣転移、そしてリンパ節転移は最終的に彼女の首元にやってきて、最期まで彼女を苦しめ、命を奪った。

「ひたすら、”性”に関わりのある部位ばかり癌になるよね。私は死ぬまで性から離れられないね。たまにさ、大事にしてこなかったからかなって思うよ」
いつも私に不安を与えないように気丈でいようとする彼女が、珍しく弱気なことを言っていた。SNSなどでは自分の病状を比較的オープンに書き連ねていた彼女はそれを「自分は弱虫だから」と言っていたけれども、それは自分の心のバランスをとるための最善の策だったんじゃないかと思う。彼女の日常はSNSで見るほどには、大変、苦しい、痛い、という言葉に溢れてはいなかった。逆に、日常でその言葉を言わないために、書くことで昇華しようとしていたんだと思う。ただ、本当は、SNSで書いてたこと、私に言ってくれたらよかったのに、とも思っている。
宇佐美翔子という人間は強いから。身近な人を、愛する人を困らせないために、最期の最後まで、強がっていた。

車内で話してた時の写真

「セックスワーカー時代にさ、翔子さんが今しんどいのは、翔子さんが悪いんじゃない、社会が悪いんだ、って言ってくれた人がいて、あぁそういう考え方があるんだって思って、活動ってしてみようかなって思ったわけ。でも、今思えば、その”悪い”には、セックスワーカーであることも含まれてたんだよね。可哀想がられてた。」
「私は私を、可哀想だと思ったことはなかったんだけど」

彼女はじっと、語り続けていた。

「いろんな人がセックスワーカーを可哀想な目で見て通り過ぎていくじゃん。もしくは、他人事みたいに正義感を振り翳して突風のように怒りをぶつけてきたり、神か何かみたいに、救いの手を差し伸べたがる。そこにいたら誰も幸せになれないとでもいうように」

「もちろんやなことはいっぱいあったよ。衛生面とか。夜這いコースは最悪だった。今でもあの時店舗で使ってた石鹸の匂いだけは吐き気がするから家でも使ってないわけだけど。SMコースで自転車の荷物結ぶ紐持参してきた奴とか、思い出すだけで怖い。乳首ほんと千切れたもん。」

「でも、女性用風俗やった時に、物凄い肌が弱い人がいてさ、女性ならわかってくれるかもって予約が入って、レズの勲章のごとく短い爪を引っ掛かりなく整えてた私に指名が入ったことがあって、何度かやったんだけどさ、抱きしめるだけですごく気を使うし、絶対に激しくしない、優しく、気持ちよく、そうしているうちにさ、なんとなく、私、仕事してるって思った。そんな日もあったな。」

「でも、そんな日ばかりじゃないしね。その仕事を誇りに思うような宇佐美さんみたいな人もいるんでしょうけど、とか妙に上から目線で言われてもさ、誇ってなんかいなかったよ。私は仕事をしてた。それ以上でも以下でもない。エイズ会議でSEXWORK is WORK!って大声で言った時、まさにこれだって思ったよね。私は仕事をしてた」

「誇りとか、尊敬とか、なんかそういう言葉がそう得意じゃないんだよ。偉くなくていいよ、私は何にもなれないし、そのまま死んでいくんだよ。だけど、社会がぶつけてきた、沢山のセックスワークへの差別とか、そういうのが、今になって効いてきてるって思うんだ」

「私が私を大事にしてなかったから、こんな病気になってるの?ずっと一緒にいたいのに、実穂とももう、長くは一緒にいられないの?」

彼女は声を出さないように頑張りながら、隣で泣いていた。

「泣くくらいしか出来ませんなぁ」とか私は言って、二人でちょっと笑った。

SWASH のフロートで歩いた時。
無いほうの片方のおっぱい隠さないで歩いた

彼女と一緒に過ごしてきた人生の中で、相談を受けるという仕事をすることはとても多くあった。その中でも、セックスワーカーからの相談を受けている時、その内容如何に関わらず彼女はいつも生き生きとしていた。なんでそんなに楽しそうなのかと聞くと、

「分かるからかな。突拍子もないような話でも、しんどい話でも、どうにもならないような状況になっちゃってても、その背景にあるものとか、それこそその人のバックで聞こえてる生活風景から何から、想像がつくからかもしれない。仲間の話を聞いてるって思うと、心から”一人じゃないよ”って、言わないけど、思いながら聞いてる気がする」

そう言っていた。

だから、彼女はセックスワーカーを可哀想な存在と位置付ける活動に対していつも怒っていた。人を可哀想と位置付ける活動に対して。様々なことには理由がある。個人的なことは社会的なことだったりもする。何であっても、そこにいる人を「力を持たない存在」にすることに、すごく怒っていた。

「力を奪う社会があるなら、力を奪った社会に怒れ。」

それはまさに、差別に対して、偏見に対して、セックスワーカーを可哀想がって下に見る人たちに対しての怒りだった。

「私たちには力がある。」

セックスワークを語るとき、彼女が一番大切にしていた言葉だ。

これから先も、きっと語り続けてくれる人たちがいるはず。私もその一人で居続けるよ。

私たちには力がある。今日もまた、いろんなことをサバイブしていこう。生き抜けないって思うことがあるならどうか思い出してほしい。

あなたの相談を心待ちにしている、仲間がいること。これは、嘘なんかじゃないから。



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